劣等感でしぬ!!!

適当に頑張って生きている

万年筆をなくした

万年筆たちをなくした。合計六本。ほとんどが低価格帯のものだったから金額的な損失はそこまで大したことではないけど、ほとんど初めて使ったような、そして毎日使っていたような万年筆たちだったので精神的なダメージがすごい。

プレジール(インクはうさぎやオリジナルインク美星の夜空)、レクル(ダイアミンのピンク)、コクーン(神戸インク物語学園都市フレッシュグリーン)、トライアングル絆(ブングボックスSweetPotatoPurpleOmaezaki)、プレラ(蔦屋家電せせらぎ)、キャップレスデシモ(色彩雫露草)。六本。キャップレスデシモ以外はまあ、頑張れば買い直せるっちゃ買い直せるけど、コクーンはマーブル軸の限定色、プレラはオエステ会の限定色カワセミブルーだった。これはもう簡単には手に入らないかな~。キャップレスデシモもこのラインナップの中では値段が一桁違うし、簡単に買おって思える値段じゃない。

 

私が最初に万年筆に触ったのは母からプレゼントされたカクノだったんだけど、カートリッジであまりのインクだばだば具合が合わなくて、しばらく放置していた。それから別件で万年筆に興味を持って、プレジールに無理矢理コンバーターつけて、初めてボトルインクを買った。初めて買った色彩雫の月夜を入れたのが今回なくしたプレジールだった。初めてで洗い方もいまいちわからなかったけど耐えてくれたプレジールくん。月夜から美星の夜空に変えてからもその綺麗なネイビーの使いやすさを教えてくれたプレジールくん。量産品だし、一番使ってたとは言っても削れるほどじゃなかったと思う。色もブルーだし、すぐにでも同じものが買えるけど、違うんだよなあ。完全に気持ちの問題だけど、それだけブルーのプレジールは特別な子だった。いつでも連れまわしていて、だから今回もなくしたんだけど。

レクルとトライアングル絆は万年筆にハマって、プレジールを二本買って(うち一本が今回なくしたブルーのやつ)インク入れて、しまい込んでたカクノにインク買って、もっとインクと万年筆が欲しくなった時に買った子だった。初めて通販をした。初めて千円以上の万年筆を買った。

レクルにはストーリアのファイアを入れて、絆には冬将軍を入れた。顔料インクの事も、赤インクは沈着しやすいことも知らない初心者だったから、今でもレクルのニブは少し赤い。その後、京彩の蹴上の桜襲やドクターヤンセンのブラックブルー、ブングボックスの肴町ほろ酔いインクと洗浄の度に違うインクを経てきた。軽くて短くてカリカリしていて普段に使いやすかった。どちらかというとボールペンに近いというか、万年筆以前に使い慣れてた筆記具に近い感じがした。急いでたくさん書きたいときなんかによく使った。

絆は黒くて万年筆っぽいフォルムの奴が欲しくて、あと太さが変わるのが面白そうで衝動買いだった。ニブも結構かっこよかったし、少し重かったけど太さがコントロールできるのは面白かった。コンバーターが他のメーカーよりも洗いやすくて、それでもなかなか普段使いするには癖があったから同期のレクルよりは出番が少なかったかもしれない。でもだんだんインクの濃淡とかを楽しむようになってから、細字ばっかり持っていたラインナップの中で太字が書ける絆を重宝するようになってきた。最初の冬将軍のイメージが強くて他の色あんまり入れてなかったな。蔦屋家電秋津島と芋の皮だけだったかもしれない。

プレラは西日本限定のオエステ会のカワセミブルーっていう透明軸。いわゆる透明軸を持つのが初めてで、これもレクルみたいにサイズが小さかったからよく使っていた気がする。折角の透明軸だからって入れたときに綺麗なインクを入れようと思って淡い色ばっかり入れていたからなんとなくフローが悪かった。買ったのは地元の文房具屋だけど、初めて東京に行った時に買ったドクターヤンセンアンデルセンを入れた。透明軸だったからずっとインクを見ていた。ズボラだったから割と早々に干上がってしまったけど、その後もジェントルインクの雪明とかブングボックスのjunebridesomethingblueとかを入れていた。薄い青が好きだった。当時好きなキャラクターが水色の髪の毛をしていたので、彼に見立てて楽しんでいた。綺麗で好きだった。レクルと同じで、軽くて小さくて手帳なんかに書き込みやすかった。

コクーンは地元の小さな小さな本屋の文具コーナーに、多分現品限りなんだろうなって感じで置かれていて、ずっと欲しかったけど三千円だからちょっと高いからって足踏みをしていた。飲み会だか食事会だかの帰りにテンションが上がってそのまま買った。後悔は全然していない。まだ少しだけ残っていた残りのコクーンたちはレジ横から姿を消してしまったから。もう一本くらい買っておけばよかったという後悔ならある。初めて入れたインクはたしかジェントルインクの海松藍で、それからドクターヤンセンのブラックレッドや書斎館の深山、ドクターヤンセンのブラックグリーンからの神戸インク物語の学園都市フレッシュグリーン。過労万年筆だ。緑と黒のマーブル軸なのだが、これにブラックレッドを入れたのが初めて「軸色とインク色を変えた」ときだった。それまでは赤いレクルには赤やピンク、黒い絆にはグレーとかの同系統のインクを入れていたんだけど、それがなんとなく当然だと思っていたんだけど、ネットなんかで見ていると割とそうでもない入れ方をしている人がたくさんいてびっくりしたのだ。そうか、それでもいいんだって思った。今となっては当たり前すぎることなのだが。それで自分もやってみようと思って、買ったばかりのブラックレッドを入れてみた。実際にはレッドというかブラウンっぽい色だったけど、めちゃくちゃにかっこよくて、フローもめちゃくちゃよくて、これはすごいなと思った。世界が広がった! と思ったあの瞬間を覚えている。それまでの世界、小さすぎである。

キャップレスデシモ。これは上記の五本とは買った時期が随分と離れる。上記の五本は本当に初期の初期に買ったもので、それゆえの愛着や思い出がたくさんある。クソ田舎の地元には万年筆の試筆などなく、まあパイロットのカスタムかプラチナのセンチュリーがあったりなかったりといった程度。もちろん三千円のコクーンで足踏みしている貧乏学生がカスタムやらセンチュリーやらを買えるはずもなく、店頭で試し書きをして買うなど夢のまた夢であったわけだ。そうしていた時に、夏休みで東京に旅行に行くことになり、私は観光ということにとことん興味のないつまらない人間だったからクソほど乗り気ではなかったのだが、万年筆を買いに行けると気が付いてからは有名な店をリストアップし出したのだった。現金な奴である。そうして調子に乗っていくつか万年筆を買い(ここは関係がないので割愛するがそこそこいい値段のものを買ったので全て箱入りだったのだ。今もなくならずに家にある)、試し書きの味を占めたのだった。

クソ田舎が特定されてしまいそうではあるが、一番近くて万年筆やインクをたくさん取り扱っていて試筆のできる、いわゆる大きな文具店が岡山の「うさぎや」であった。一番近いとはいうが当然県外である。びっくりするほど揺れる電車に乗って、それから路線バスに乗って、最寄りのバス停からしばらく歩いて初めて辿り着く。ここには何度か足を運んだが、キャップレスデシモを買ったのは二度目の時である。

あまり詳細に書くとこれまた特定されそうなので適当にぼかすのだが、某所を12キロほど練り歩く(装備:歩きにくい服装)というトチ狂ったパレードに参加させられた。私は当時就活真っ只中であり、とてもそんなトチ狂った催しに参加する時間などはないと言ったのだが、両親の強い勧めがあったため仕方なく参加した。勧めではあったが、断っていたら家族関係が悪くなっていたのでは? と思うと普通に強制であった。私は運動神経があり得ないほど悪いというか、とにかく動くことが苦手であり、1キロも歩くと全身に筋肉痛が走る。12キロ歩くって何事だよ? 正気の沙汰ではない。人の心があったら普通させないと思う。

あまりの恨みを思い出して話が脱線した。まあそのトチ狂ったパレードが岡山で開催されるので、これを頑張ったら万年筆でもインクでも買ってあげるよと両親に言われたのだった。馬の前にニンジンを吊るやつである。ぶっちゃけ万年筆もインクもいらないから歩きたくはなかったのだが、親とギスギスする方が嫌だったので「やったあ! 万年筆とインク欲しい! じゃあ頑張る!」と空元気をキメたのだった。そうして苦行(比喩でなく)の末に手に入れたのがキャップレスデシモである。ようやく戻ってきた。すいませんね。自分語りは楽しいものなのだ。そういう経緯があったので、なんとなく思い入れみたいなのがあるのだ。よく考えたら自分が金を出さないからと思って結構なものをねだりやがったなと思うが、まあそういう決まりだったので。

私が万年筆を好きなのは、見た目がかっこよくてカワイイというのがほとんどで、要するに見た目が好きなのである。キャップレスデシモはありえないくらいかっこよかった。ノック式の万年筆があると知った時はそれこそひっくり返るほど驚いたものだが、実際に目の前でカチカチしてみたときのあの感動は忘れられないし、ぶっちゃけなくす直前もずっとにこにこしながらカチカチしていた。とにかくかっこいい。機械的なかっこよさ。そしてあんなかっこよさなのにニブは柔らかめでどうなっていやがるんだと思う。どれだけ使っていても飽きない美しさは、値段以上の価値があると思っている。

 

こうしてだらだら書いたのだが、とにかく悲しいのだ。思い出がある。大学で板書を取った時。日記を書いた時。レポートの構想を書き殴っていた時。そこにはすべてこれらの万年筆がいた。普段使い用だったのだ。いつでも気軽に使えるように、いつも鞄に入れていた。

一人暮らしのアパートに住んでいるのだが、実家に一日戻ることになった。バスと電車を乗り継ぐ。バスから降りて、駅の改札を通ろうとしたときにリュックが全開になっていた。上の方がちょっと開いていたとかではなく、まごうことなき全開。エッもしかしてアパートからこれだったのとめちゃくちゃ焦った。実家には一日泊まるだけのつもりだったので、リュックには着替えとスケジュール帳、そして多分ペンケースだけが入っていたはずだった。細々した、カイロとかもあったけど。それでも電車の時間が迫っていたし(クソ田舎だから一本逃すと大変なことになるし、この日私はバスを乗り間違えて既に一本電車を逃していた)、着替えはちゃんとあったのでリュックを閉めて改札を通ったのだった。

もしもペンケースを落としたとしたら、この周辺なのかなあと思う。実家に持って行こうとペンケースをリュックに入れたような気はする。曖昧だが、アパートのどこにも見当たらないのだ。バス会社に電話した。交番に届け出を出した。アパートからバス停までの道のりを血眼になって探した。どこにもなかった。

私は昔から物をよくなくす。マフラーだったり、ペンや消しゴムだったり、その他いろいろ。そして探すのが壊滅的に下手くそだった。部屋が汚いというのもあるが、自分で散々探してなくて半泣きだったところを母に探してもらったら秒で見つかったこともある。探すのが下手くそってどういうことなんだと自分でも思うが、とにかく下手くそなのだった。だからアパートにもしかしたらあるのかもしれない。私が下手くそなだけで、本当は私の隣にいるのかもしれない。そうだったらいいなあと思う。怒らないから出てきてほしい。何も手につかないのだ。

本当は卒論の書き直しをしなければならない。文章が下手くそと准教授にこき下ろされた(でも具体的にどう直せばいいのかは言ってはくれなかったので不親切だと逆ギレをしている)卒論に、また向き合わなければならない。ぶっちゃけ私はそこそこできたと思っていたので普通にショックなのだが、もともと論理的な思考が大嫌いなので論理的な文章など書けるはずがないのだ。そういう現実と対峙して、うまくできなかったけど頑張って直しましたよと提示しなければならないのに、いつもそういう時に使っていた万年筆たちがいないだけでこんなに辛い。正直乗り越えられる気がしない。こうして五千字も書き連ねている間にも、卒論を直せやという話である。馬鹿か。

まあ、とにかく、万年筆を(恐らく自業自得で)なくしてしまった悲しい人間の嘆きなのだった。この五千字を読んだだけで私がいかに論理的な思考をしていないかが分かると思う。別に何が言いたいわけではないのだ。ただ悲しみを文字にしたいというそれだけなので、文句を言われるとぶちギレてしまう。私は准教授に昔言われたことにハチャメチャ恨みを抱いているので、似たような人間のことを嫌ってしまうという最低の性質の人間なのだった。

最低の人間の話をここまで読んでくれた人がいるのかは分からないけれど、もしも誰かが読んでくれて、フヘッと思ってくれれば幸いである。