劣等感でしぬ!!!

適当に頑張って生きている

確かに中学生だった

図書館に来ている。その昔、このまちが市町村合併をする前に「町立」だった図書館、今は市立で名前も変わってしまっているけれど、自分にとっての図書館はここ。私が通っていた中学校とは別の、いわゆる隣の中学校というやつが近くにあって、普段の生活圏からはほんの少し離れていたけど夏休みなんかは意味もなく汗かきながら通った記憶がかすかにある。隣の中学校が近くにあるから、部活の練習試合とかでこの辺にはそこそこ来ていたのだった。

どうして当初の目的である原稿も書かずにこんなエントリを書いているかというと、窓際の、外が見える席で本を読んでいたら、学校帰りの女子中学生の姿が見えたから。ただの女子中学生じゃない、植え込みで丸く囲われている木の周りを自転車でぐるぐる回りながら会話をしている女子中学生だった。

 

かつて、わたしもそうだったことを鮮明に思い出した。

自分の車に乗って図書館にやってくるような、社会人になった自分は、あるいは親の車を借りて図書館にやってくるような大学生の頃だったら。「自転車から降りて、座って(あるいは立って)話せばいいのに」なんて当たり前に思うのだ。だけど、かつてそうだった自分は違うんだと大きな声で叫んでいるのだ。

わざわざ自転車を降りて話すようなことじゃない。一度家に帰って私服に着替えてまた集まるようなことじゃない。田舎だから近隣に喫茶店なんてないけど、そういうところに行って学校帰りに遊んで帰るとかそういうのじゃない。この友達と別れたくないっていうのでもない。だってまだこれから数キロ隣でペダルを漕ぐ。

ただ、数分間だけそこでぐるぐると回りながら、その日帰ってからだって覚えていないようなことを話すのだ。そう、私たちがぐるぐると無意味に回っていたのはあの木だった。

 

実は三日前にもこの図書館に来たのだ。同じ席ではないけれど、二つ隣の席に座ってブラックジャックを読みふけっていた。そのときだって目の前にその木はあったけど、大学生の時に資料探しにやってきた時にもこの木を見ていたかもしれないけど、なんなら今日車の中からこの木を見たけれど、かつての女子中学生だった自分なんてそこにはいなかった。

 

ヘルメットをしっかりとかぶった女の子たちは、私が打ちひしがれている間にいなくなっていた。当然だ、そこは何時間もとどまるところではないのだから。十分も滞在していなかったのだろうと思う。彼女たちを見て、一時間以上私はぼんやりとしていた。

どうしてこんなに衝撃を受けているのかは自分にも分からないのだ。十年以上も昔の自分と、今の女子中学生がまったく同じ挙動をしていたのが懐かしかったから? なにも分からないけれど、中学生って「あの頃」とか「かつて」とかよりももっと前だ。

中学校の時のことは、特に部活のことなんかはあんまり思い出したくないし、社会人として生活していて思い出すことってあまりない。昔ってこうだったなあ、とかで思い出す昔って大学生とか高校生とかの時だ。現に、他のことは何も思い出せない。そもそも覚えてないのだ。

覚えてないはずなのに、一気に色のついた記憶が流れ込んできたからウワーッてなっちゃったのかな。試合帰りでユニフォーム着てて、汗でべたべたで、もう疲れてるのにここから何キロもかけてこの暑い中自転車漕いで帰んなきゃいけなくて。申し訳程度に塗った日焼け止めだって多分どろどろの汗で完全に流されてて、今日だけで袖のところで腕に日焼けの跡がついてる。私たちが行くばっかりで嫌だよねえたまにはうちに来ればいいのに移動がしんどいから、でもうちのコートは狭いし二面しかないし水はけも悪いよ仕方ないんだよ、ずるいなあ。

もう何年も話したことのないあの時の友達が、さっき、確かに隣にいた。