劣等感でしぬ!!!

適当に頑張って生きている

テーマパークに向いていない話

テーマパーク? 遊園地? なんて言ったらいいか分からない。ディズ…とかユニ…とか、そういう類のアレです。ああいうものにとにかく向いてないという話です。

 

この話の始まりは私のめちゃくちゃ好きで仲良くしてくれてるフォロワーさんが「(仲の良い複数人で)デ…オフ会しよう!」という提案をされたところなのですが、このフォロワーさんは前からデ…(なんて言ったらいいんですか!?)が好きだっていうことを公言しておられたんですね。もうそのときからめちゃくちゃ好きな人のめちゃくちゃ好きなものを好きになれない自分に失望して滂沱の涙! って感じだったんですが、いや改めて考えてもどうしてもだめそう……というところで悲しくなって体調を崩し、気持ちを整理するためにエントリを書こうとした次第です。推敲してないからぐでぐでです。

 

テーマパーク自体が嫌いなわけではないんですよ、そもそも向いてないなだけで嫌いではないので……。めちゃくちゃ好きな人のめちゃくちゃ好きなものに否定的なニュアンスは入れたくないので細心の注意を払いはするのですが、よろしくなかったらすみません。下げます。

 

なにが向いてないっていうと、楽しめないのが予想できるから向いてないなんですね。ああいうところって楽しむために行くところじゃないですか。でも自分が行ったところで楽しめないし、誰かと一緒に行くならなおさらその誰かに気を遣わせてしまうからだめなんです。みんなで一緒に遊ぶぞ! ってわくわくしてた人の楽しみに水を差したくないじゃないんですよ、しかもめちゃくちゃ好きな人ですよ、嫌われたくねえ……だめなんですよ。お前がだめなやつだ。

なんで行く前から楽しめないって決めつけてるかというと、とにかくハチャメチャに体力がないからです。本当に画面の向こうのあなたが想像しているのの数倍体力がないので、多分入場する前に疲れて休みたい……って言い出すと思います。アトラクションとアトラクションの間を移動するのだけで泣きそうになるくらいしんどい。そして別にアトラクションにわくわくすることもないので、いやほんと、向いてないんですね。絶叫系も好きではないし、だからといってゆるやか~なやつが楽しいかといえばそうでもないし。そもそもちょっと絶叫っぽいくらいのやつが好きだったんですが、成長するにつれて乗り物酔いをするようになってきたのでそれが怖くて乗れない。普通に絶叫系のやつはだめです。ああ~~~向いてない……。

アトラクションとアトラクションの間を移動するのが体力的にもしんどいのですが(歩くのはもちろん立ってるのもしんどいのでアトラクションの待ち時間もひたすらしんどい)、情報量がとにかく多くてパンクしそうになるのも向いてないなって感じです。景色とか、キャストっていうんですか、ああいうのとか、とにかく世界観がガッチリ作られてるって聞きますけど(詳しくはないので伝聞です)、そういうのすごい好きだけど、自分がその中に入ってると思うとウワ―――ッ!ってなる……向いてない……。そもそもゲーセンとかボウリング場の情報量でウワ―――ッてなるので、もう、もうだめなんですよ……。

 

その昔スカイツリーに別のフォロワーさん達と行ったことがあるんですが、そのときすでに電車の中でグロッキーになってたしスカイツリーでは使い物にならないぐらいぐちゃぐちゃだったので、またそういうことになってしまう……という危惧です。そのときにも気を遣わせてしまって結局カラオケで休ませてもらったんですが、デ……にまで来て人の体調の心配なんてさせたくないんですよ! だってめちゃくちゃ好きなフォロワーさんだから……。

 

体力をつけろで済む話ではあるのかもしれないですが情報量に関してはどうしようもないですね……。なんかそういうことを考えながら通勤してたらすごい涙が止まらなくなってしまったんですが、山の中の職場に向かいながら「療養中かよ」と思って若干面白くなりました。世界に音が多すぎる的な……。

フォロワーさんに気を遣わせたくないというか、気を遣わせた! って自分が思うことでストレスになるのが嫌なんですね。実際に気を遣ったかどうかは問題じゃないんですよ悪い奴なので……。とにかく自己嫌悪でぐちゃぐちゃになってしんどくなってしまう、のが想像つくのでそういう類のところには、行けそうにないですね、という結論になるのがとにかくつらい。フォロワーさんのことをこんなに好きなのにままならないので明るくポップにしにてえ! という感情になります。

確かに中学生だった

図書館に来ている。その昔、このまちが市町村合併をする前に「町立」だった図書館、今は市立で名前も変わってしまっているけれど、自分にとっての図書館はここ。私が通っていた中学校とは別の、いわゆる隣の中学校というやつが近くにあって、普段の生活圏からはほんの少し離れていたけど夏休みなんかは意味もなく汗かきながら通った記憶がかすかにある。隣の中学校が近くにあるから、部活の練習試合とかでこの辺にはそこそこ来ていたのだった。

どうして当初の目的である原稿も書かずにこんなエントリを書いているかというと、窓際の、外が見える席で本を読んでいたら、学校帰りの女子中学生の姿が見えたから。ただの女子中学生じゃない、植え込みで丸く囲われている木の周りを自転車でぐるぐる回りながら会話をしている女子中学生だった。

 

かつて、わたしもそうだったことを鮮明に思い出した。

自分の車に乗って図書館にやってくるような、社会人になった自分は、あるいは親の車を借りて図書館にやってくるような大学生の頃だったら。「自転車から降りて、座って(あるいは立って)話せばいいのに」なんて当たり前に思うのだ。だけど、かつてそうだった自分は違うんだと大きな声で叫んでいるのだ。

わざわざ自転車を降りて話すようなことじゃない。一度家に帰って私服に着替えてまた集まるようなことじゃない。田舎だから近隣に喫茶店なんてないけど、そういうところに行って学校帰りに遊んで帰るとかそういうのじゃない。この友達と別れたくないっていうのでもない。だってまだこれから数キロ隣でペダルを漕ぐ。

ただ、数分間だけそこでぐるぐると回りながら、その日帰ってからだって覚えていないようなことを話すのだ。そう、私たちがぐるぐると無意味に回っていたのはあの木だった。

 

実は三日前にもこの図書館に来たのだ。同じ席ではないけれど、二つ隣の席に座ってブラックジャックを読みふけっていた。そのときだって目の前にその木はあったけど、大学生の時に資料探しにやってきた時にもこの木を見ていたかもしれないけど、なんなら今日車の中からこの木を見たけれど、かつての女子中学生だった自分なんてそこにはいなかった。

 

ヘルメットをしっかりとかぶった女の子たちは、私が打ちひしがれている間にいなくなっていた。当然だ、そこは何時間もとどまるところではないのだから。十分も滞在していなかったのだろうと思う。彼女たちを見て、一時間以上私はぼんやりとしていた。

どうしてこんなに衝撃を受けているのかは自分にも分からないのだ。十年以上も昔の自分と、今の女子中学生がまったく同じ挙動をしていたのが懐かしかったから? なにも分からないけれど、中学生って「あの頃」とか「かつて」とかよりももっと前だ。

中学校の時のことは、特に部活のことなんかはあんまり思い出したくないし、社会人として生活していて思い出すことってあまりない。昔ってこうだったなあ、とかで思い出す昔って大学生とか高校生とかの時だ。現に、他のことは何も思い出せない。そもそも覚えてないのだ。

覚えてないはずなのに、一気に色のついた記憶が流れ込んできたからウワーッてなっちゃったのかな。試合帰りでユニフォーム着てて、汗でべたべたで、もう疲れてるのにここから何キロもかけてこの暑い中自転車漕いで帰んなきゃいけなくて。申し訳程度に塗った日焼け止めだって多分どろどろの汗で完全に流されてて、今日だけで袖のところで腕に日焼けの跡がついてる。私たちが行くばっかりで嫌だよねえたまにはうちに来ればいいのに移動がしんどいから、でもうちのコートは狭いし二面しかないし水はけも悪いよ仕方ないんだよ、ずるいなあ。

もう何年も話したことのないあの時の友達が、さっき、確かに隣にいた。

歯がない

口に出すとラノベの略したタイトルみたいだ。歯がない。総入れ歯というわけではなくて、一本、永久歯がないという話を今回はしようと思う。

 

前回の悲しみを込めたエントリもなかなかかわいそうで今読み返すと面白いけど(警察にも届けたけど全然音沙汰ないからまだ大きな空白がある)、最近やっぱり自分の文章はおもしれえなと思ったのでまたちょこちょこ書いていこうかなと思う。復帰第一弾は歯がない話だ。

 

私とリアルのお友達な人と、一度会ったフォロワーさん(実在してた)は知ってる話なんだけど、左の上の犬歯がない。ぽっかりと空洞になっている。

なぜかというと、18だか19だか20だかくらいの時分まで乳歯がそこに鎮座しており、抜いた後も永久歯が一向に生えてこないからである。

高校の時に歯科検診があって、普通に奥歯の方が虫歯になりかけていたと結果が出たので親と一緒に歯医者に行った。一応言っておくが、ママと一緒じゃないと怖くて歯医者さんに行けないという訳ではなく、クソ田舎は車がないと歯医者のところにたどり着かないのである。

そこで一度見てもらったのだが、なんだかやたらとレントゲンを撮られたりした。その時は奥歯にできかけている虫歯のことだと思っていたので、そんなに悪いのか!? 全然痛くないのに……と不安になっていた。そして親を呼ばれ(めちゃくちゃやべーやつではとすごくビビった)、「虫歯は今日にでもすぐ治せますけど、一本乳歯がありますね。そっちの方が問題ですね」と言われたわけである。あまりに予想外の方向で私も母もあっけに取られているうちに虫歯の治療が行われた。

 

何回かの相談の結果、「いずれ自然に抜けるはずだからその時に考えましょう」ということになった。いずれ自然に抜ける時期は既に通り過ぎているはずなのだが、プロの歯医者が言うのだからきっとそうなのだろうと思って帰った。それから1年か2年経っても抜ける気配はなかった。ぐらぐらして抜けそうになることがあったわけでもなかった。

 

ここから先は記憶が確かでないので時系列が正しくはないかもしれないが、それはそれでフェイクを入れられたと思って聞いてほしい。

 

大学受験前に余計なことはするまいと、抜くことはやめにしていたのだが、無事大学に合格したため歯をなんとかしようということになった。私は別に一生乳歯でもネタになりそうだったので構わなかったのだが、なんだか虫歯になりやすいだとかで抜いた方がいいよと言われた。

麻酔をかけて、なんか頭蓋に響くハチャメチャな音を立てて無事に乳歯は引っこ抜かれた。初めの日に撮ったレントゲンには永久歯ががっつり映っており、抜いたらいずれ生えるでしょうと言われた。生えてくる場所が狭いから変なところから出てくるかもしれない。八重歯程度なら放っておいてもいいが、矯正がいることになるかもしれない。それは生えてきてから考えましょうと言われた。

今、歯はない。生えてこないのだった。

 

 

そういうわけで左の上の犬歯はない。形成されているけれど歯茎から出てこようとするガッツが感じられない。引きこもっていやがる。

特に不便はなく、歯茎がむき出しになっているからと言ってものが食べられないこともなく、それまで通りの生活をしている。たまにリンゴとかを丸かじりすると一か所だけ食いきれてなかったりする程度で、むしろ口を完全に閉じていてもストローから飲み物が飲める特技ができたくらいである。

意識して歯を見せようと思わない限り犬歯は見えないので、何度も話した人でも歯がないことに気づかないこともある。犬歯がないことを気にして生きていることはほとんどない。歯はたくさんあるのだから、一本くらいないところで全く問題はないということなのだろう。

テーマが大して面白くなかったかもしれない。前回に比べると圧倒的に少ない量だ。それでもツイッターなんかに慣れているとこれだけの分量を書くと楽しくて仕方がないので、また何か書こうと思う。中学生の時に、体育の時間に骨折した話でも書きたい。

万年筆をなくした

万年筆たちをなくした。合計六本。ほとんどが低価格帯のものだったから金額的な損失はそこまで大したことではないけど、ほとんど初めて使ったような、そして毎日使っていたような万年筆たちだったので精神的なダメージがすごい。

プレジール(インクはうさぎやオリジナルインク美星の夜空)、レクル(ダイアミンのピンク)、コクーン(神戸インク物語学園都市フレッシュグリーン)、トライアングル絆(ブングボックスSweetPotatoPurpleOmaezaki)、プレラ(蔦屋家電せせらぎ)、キャップレスデシモ(色彩雫露草)。六本。キャップレスデシモ以外はまあ、頑張れば買い直せるっちゃ買い直せるけど、コクーンはマーブル軸の限定色、プレラはオエステ会の限定色カワセミブルーだった。これはもう簡単には手に入らないかな~。キャップレスデシモもこのラインナップの中では値段が一桁違うし、簡単に買おって思える値段じゃない。

 

私が最初に万年筆に触ったのは母からプレゼントされたカクノだったんだけど、カートリッジであまりのインクだばだば具合が合わなくて、しばらく放置していた。それから別件で万年筆に興味を持って、プレジールに無理矢理コンバーターつけて、初めてボトルインクを買った。初めて買った色彩雫の月夜を入れたのが今回なくしたプレジールだった。初めてで洗い方もいまいちわからなかったけど耐えてくれたプレジールくん。月夜から美星の夜空に変えてからもその綺麗なネイビーの使いやすさを教えてくれたプレジールくん。量産品だし、一番使ってたとは言っても削れるほどじゃなかったと思う。色もブルーだし、すぐにでも同じものが買えるけど、違うんだよなあ。完全に気持ちの問題だけど、それだけブルーのプレジールは特別な子だった。いつでも連れまわしていて、だから今回もなくしたんだけど。

レクルとトライアングル絆は万年筆にハマって、プレジールを二本買って(うち一本が今回なくしたブルーのやつ)インク入れて、しまい込んでたカクノにインク買って、もっとインクと万年筆が欲しくなった時に買った子だった。初めて通販をした。初めて千円以上の万年筆を買った。

レクルにはストーリアのファイアを入れて、絆には冬将軍を入れた。顔料インクの事も、赤インクは沈着しやすいことも知らない初心者だったから、今でもレクルのニブは少し赤い。その後、京彩の蹴上の桜襲やドクターヤンセンのブラックブルー、ブングボックスの肴町ほろ酔いインクと洗浄の度に違うインクを経てきた。軽くて短くてカリカリしていて普段に使いやすかった。どちらかというとボールペンに近いというか、万年筆以前に使い慣れてた筆記具に近い感じがした。急いでたくさん書きたいときなんかによく使った。

絆は黒くて万年筆っぽいフォルムの奴が欲しくて、あと太さが変わるのが面白そうで衝動買いだった。ニブも結構かっこよかったし、少し重かったけど太さがコントロールできるのは面白かった。コンバーターが他のメーカーよりも洗いやすくて、それでもなかなか普段使いするには癖があったから同期のレクルよりは出番が少なかったかもしれない。でもだんだんインクの濃淡とかを楽しむようになってから、細字ばっかり持っていたラインナップの中で太字が書ける絆を重宝するようになってきた。最初の冬将軍のイメージが強くて他の色あんまり入れてなかったな。蔦屋家電秋津島と芋の皮だけだったかもしれない。

プレラは西日本限定のオエステ会のカワセミブルーっていう透明軸。いわゆる透明軸を持つのが初めてで、これもレクルみたいにサイズが小さかったからよく使っていた気がする。折角の透明軸だからって入れたときに綺麗なインクを入れようと思って淡い色ばっかり入れていたからなんとなくフローが悪かった。買ったのは地元の文房具屋だけど、初めて東京に行った時に買ったドクターヤンセンアンデルセンを入れた。透明軸だったからずっとインクを見ていた。ズボラだったから割と早々に干上がってしまったけど、その後もジェントルインクの雪明とかブングボックスのjunebridesomethingblueとかを入れていた。薄い青が好きだった。当時好きなキャラクターが水色の髪の毛をしていたので、彼に見立てて楽しんでいた。綺麗で好きだった。レクルと同じで、軽くて小さくて手帳なんかに書き込みやすかった。

コクーンは地元の小さな小さな本屋の文具コーナーに、多分現品限りなんだろうなって感じで置かれていて、ずっと欲しかったけど三千円だからちょっと高いからって足踏みをしていた。飲み会だか食事会だかの帰りにテンションが上がってそのまま買った。後悔は全然していない。まだ少しだけ残っていた残りのコクーンたちはレジ横から姿を消してしまったから。もう一本くらい買っておけばよかったという後悔ならある。初めて入れたインクはたしかジェントルインクの海松藍で、それからドクターヤンセンのブラックレッドや書斎館の深山、ドクターヤンセンのブラックグリーンからの神戸インク物語の学園都市フレッシュグリーン。過労万年筆だ。緑と黒のマーブル軸なのだが、これにブラックレッドを入れたのが初めて「軸色とインク色を変えた」ときだった。それまでは赤いレクルには赤やピンク、黒い絆にはグレーとかの同系統のインクを入れていたんだけど、それがなんとなく当然だと思っていたんだけど、ネットなんかで見ていると割とそうでもない入れ方をしている人がたくさんいてびっくりしたのだ。そうか、それでもいいんだって思った。今となっては当たり前すぎることなのだが。それで自分もやってみようと思って、買ったばかりのブラックレッドを入れてみた。実際にはレッドというかブラウンっぽい色だったけど、めちゃくちゃにかっこよくて、フローもめちゃくちゃよくて、これはすごいなと思った。世界が広がった! と思ったあの瞬間を覚えている。それまでの世界、小さすぎである。

キャップレスデシモ。これは上記の五本とは買った時期が随分と離れる。上記の五本は本当に初期の初期に買ったもので、それゆえの愛着や思い出がたくさんある。クソ田舎の地元には万年筆の試筆などなく、まあパイロットのカスタムかプラチナのセンチュリーがあったりなかったりといった程度。もちろん三千円のコクーンで足踏みしている貧乏学生がカスタムやらセンチュリーやらを買えるはずもなく、店頭で試し書きをして買うなど夢のまた夢であったわけだ。そうしていた時に、夏休みで東京に旅行に行くことになり、私は観光ということにとことん興味のないつまらない人間だったからクソほど乗り気ではなかったのだが、万年筆を買いに行けると気が付いてからは有名な店をリストアップし出したのだった。現金な奴である。そうして調子に乗っていくつか万年筆を買い(ここは関係がないので割愛するがそこそこいい値段のものを買ったので全て箱入りだったのだ。今もなくならずに家にある)、試し書きの味を占めたのだった。

クソ田舎が特定されてしまいそうではあるが、一番近くて万年筆やインクをたくさん取り扱っていて試筆のできる、いわゆる大きな文具店が岡山の「うさぎや」であった。一番近いとはいうが当然県外である。びっくりするほど揺れる電車に乗って、それから路線バスに乗って、最寄りのバス停からしばらく歩いて初めて辿り着く。ここには何度か足を運んだが、キャップレスデシモを買ったのは二度目の時である。

あまり詳細に書くとこれまた特定されそうなので適当にぼかすのだが、某所を12キロほど練り歩く(装備:歩きにくい服装)というトチ狂ったパレードに参加させられた。私は当時就活真っ只中であり、とてもそんなトチ狂った催しに参加する時間などはないと言ったのだが、両親の強い勧めがあったため仕方なく参加した。勧めではあったが、断っていたら家族関係が悪くなっていたのでは? と思うと普通に強制であった。私は運動神経があり得ないほど悪いというか、とにかく動くことが苦手であり、1キロも歩くと全身に筋肉痛が走る。12キロ歩くって何事だよ? 正気の沙汰ではない。人の心があったら普通させないと思う。

あまりの恨みを思い出して話が脱線した。まあそのトチ狂ったパレードが岡山で開催されるので、これを頑張ったら万年筆でもインクでも買ってあげるよと両親に言われたのだった。馬の前にニンジンを吊るやつである。ぶっちゃけ万年筆もインクもいらないから歩きたくはなかったのだが、親とギスギスする方が嫌だったので「やったあ! 万年筆とインク欲しい! じゃあ頑張る!」と空元気をキメたのだった。そうして苦行(比喩でなく)の末に手に入れたのがキャップレスデシモである。ようやく戻ってきた。すいませんね。自分語りは楽しいものなのだ。そういう経緯があったので、なんとなく思い入れみたいなのがあるのだ。よく考えたら自分が金を出さないからと思って結構なものをねだりやがったなと思うが、まあそういう決まりだったので。

私が万年筆を好きなのは、見た目がかっこよくてカワイイというのがほとんどで、要するに見た目が好きなのである。キャップレスデシモはありえないくらいかっこよかった。ノック式の万年筆があると知った時はそれこそひっくり返るほど驚いたものだが、実際に目の前でカチカチしてみたときのあの感動は忘れられないし、ぶっちゃけなくす直前もずっとにこにこしながらカチカチしていた。とにかくかっこいい。機械的なかっこよさ。そしてあんなかっこよさなのにニブは柔らかめでどうなっていやがるんだと思う。どれだけ使っていても飽きない美しさは、値段以上の価値があると思っている。

 

こうしてだらだら書いたのだが、とにかく悲しいのだ。思い出がある。大学で板書を取った時。日記を書いた時。レポートの構想を書き殴っていた時。そこにはすべてこれらの万年筆がいた。普段使い用だったのだ。いつでも気軽に使えるように、いつも鞄に入れていた。

一人暮らしのアパートに住んでいるのだが、実家に一日戻ることになった。バスと電車を乗り継ぐ。バスから降りて、駅の改札を通ろうとしたときにリュックが全開になっていた。上の方がちょっと開いていたとかではなく、まごうことなき全開。エッもしかしてアパートからこれだったのとめちゃくちゃ焦った。実家には一日泊まるだけのつもりだったので、リュックには着替えとスケジュール帳、そして多分ペンケースだけが入っていたはずだった。細々した、カイロとかもあったけど。それでも電車の時間が迫っていたし(クソ田舎だから一本逃すと大変なことになるし、この日私はバスを乗り間違えて既に一本電車を逃していた)、着替えはちゃんとあったのでリュックを閉めて改札を通ったのだった。

もしもペンケースを落としたとしたら、この周辺なのかなあと思う。実家に持って行こうとペンケースをリュックに入れたような気はする。曖昧だが、アパートのどこにも見当たらないのだ。バス会社に電話した。交番に届け出を出した。アパートからバス停までの道のりを血眼になって探した。どこにもなかった。

私は昔から物をよくなくす。マフラーだったり、ペンや消しゴムだったり、その他いろいろ。そして探すのが壊滅的に下手くそだった。部屋が汚いというのもあるが、自分で散々探してなくて半泣きだったところを母に探してもらったら秒で見つかったこともある。探すのが下手くそってどういうことなんだと自分でも思うが、とにかく下手くそなのだった。だからアパートにもしかしたらあるのかもしれない。私が下手くそなだけで、本当は私の隣にいるのかもしれない。そうだったらいいなあと思う。怒らないから出てきてほしい。何も手につかないのだ。

本当は卒論の書き直しをしなければならない。文章が下手くそと准教授にこき下ろされた(でも具体的にどう直せばいいのかは言ってはくれなかったので不親切だと逆ギレをしている)卒論に、また向き合わなければならない。ぶっちゃけ私はそこそこできたと思っていたので普通にショックなのだが、もともと論理的な思考が大嫌いなので論理的な文章など書けるはずがないのだ。そういう現実と対峙して、うまくできなかったけど頑張って直しましたよと提示しなければならないのに、いつもそういう時に使っていた万年筆たちがいないだけでこんなに辛い。正直乗り越えられる気がしない。こうして五千字も書き連ねている間にも、卒論を直せやという話である。馬鹿か。

まあ、とにかく、万年筆を(恐らく自業自得で)なくしてしまった悲しい人間の嘆きなのだった。この五千字を読んだだけで私がいかに論理的な思考をしていないかが分かると思う。別に何が言いたいわけではないのだ。ただ悲しみを文字にしたいというそれだけなので、文句を言われるとぶちギレてしまう。私は准教授に昔言われたことにハチャメチャ恨みを抱いているので、似たような人間のことを嫌ってしまうという最低の性質の人間なのだった。

最低の人間の話をここまで読んでくれた人がいるのかは分からないけれど、もしも誰かが読んでくれて、フヘッと思ってくれれば幸いである。